A puzzler on the trail
気になった記事、気になった本などについて色々と。
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<2月10日>(金)
○貿易収支や経常収支のことを、これだけ多くの人に聞かれるのは初めてですね。「貿易動向調査」の仕事に長年携わってきて、こんなに脚光を浴びたのは空前絶後です。それもそのはず、「今までずっと黒字だったものが赤字に変わる」わけだから、すごく分かりやすいインパクトがあるのですね。恐怖があるから、ニュースが注目される。ちょっと不健全なところがありますな。
○思うに一連の議論は、「2015年には経常赤字になるかもしれないから、早く消費税を上げなきゃいけない」とか、「代替燃料費で貿易赤字が増えるから、早く原発を再稼動しなきゃいけない」といった脅迫の材料に使われている面があるような気がします。あたしゃ消費税は上げなきゃいけないと思うし、原発再稼動も賛成だけど、どちらも「見切り発車」はいけません。ちゃんと手続きを踏んでやらないと、後でかならずひっくり返されると思いますぞ。
○データというものは虚心坦懐に読むべきものであって、あらかじめ何らかの結論を引き出そうという「邪心」を持って接するべきではありません。ところが、世の中にはよこしまな数字の方が、まともな数字よりもはるかに多いのですな。「だから○○は××すべきである」と言いたいための補強材料として、作られるデータのなんとアホらしいことよ。
残念なことに、「世の中にはよこしまな数字の方が、まともな数字よりもはるかに多い」ので、何らかの主義、主張、政策に関わる数字は、その補強材料として作られていると見てしまうのが、現状ですね。直接的に何らかの主張を伴わないデータでも、なぜこのタイミングでその調査結果を公表したのかとか、その裏を考えてしまうことも。
○欧州経済の迷走続く。今日は1ユーロ100円台になったとか。これはいずれ大台は割れるでしょうね。でないと達成感が出ませんから。こうなると用もないのに欧州に行ってみたくなる。物価がとても安く感じられることでしょう。
○少し八つ当たり気味で言うと、そもそも欧州は「トロイカ」が対応に当たっているという時点で、いかにもダメっぽい。さしずめEUが「ワル」(確信犯で議論を迷走させている)で、ECBが「バカ」(方向性が定まらない)で、IMFは「ズル」(口ばっかりで手を汚すつもりがない)ってところでしょうか。いかにも不毛な組み合わせと言えましょう。
○そもそも論で言えば、「トロイカ体制」とはスターリンがトロツキーを追い落とすために仕掛けた政治体制である。爾来、「トロイカ体制」がうまくいった、なんて話は聞いたことがない。少なくとも政治の世界においては、「三人寄れば文殊の知恵」なんてことはないと思いますぞ。
かんべえの不規則発言昔は「英国病」なる言葉がありましたが、いまは「日本病」が世界的に流行しているようです…。
本日のGoogle Doodleはジム・ヘンソン生誕75周年記念ですね。セサミストリートの操り人形師として大成功を収めたので、セサミストリート風の人形でGoogleという文字が描かれています。最近のDoodleと同じく、インタラクティブな造りになっているので、クリックで人形を操れます。
矢作俊彦がぼくのGQの文章に「反論」したというので見てみた。ぼくには「論」にはまったく思えず、ただの付け焼き刃の感情垂れ流しポジショントークとしか思えないんだが、多くの人は説得力(でも論がないのに、何に説得されたんだろうか)を感じたようだ。そしてツイートなどを見るに、多くの人は次のネタにずいぶん賛同している。
核廃棄物をどうするの? 山形はそれに触れてないじゃないか、というわけ。
さて、ぼくはその話はちゃんと触れているのだ。そしてそれは、ぼくのほうも是非聞きたいところ。あなたたち、核廃棄物をどうするの?
自分たちは脱原発と言っているから、その要求が通れば廃棄物がすぐ消えてなくなるとでも思ってるの?
今動いてる原発があって当分後始末もいる。過去に出た廃棄物もある。それを何とかしなくてはいけない。あなたたち、いまの原子力の管理技術では不安なんでしょ? 技術だけじゃなくて体制も信用できないと思ってるんでしょ? そしたら、今ある(そしてこれからも出続ける)ものを今よりマシな形で管理処分する必要があるんでしょ。そのための技術開発は必須だ。だからぼくは原子力の研究開発に金をかけろと言っているんだよ。
でも、それだけじゃ足りない。だれがそれをやってくれるの? 先の見通しのない、つぶしも効かない、過去の尻ぬぐいにしかならない技術の開発に、だれが来てくれるの? 工学部の進振を見ればわかるけれど、学生はそういうのに敏感だよ。
そう考えると、本気で脱原発をするためにも、逆に原子力エネルギーに多少なりとも可能性は残さないと(民生発電でなくてもいいよ)ダメじゃない? そうでないと、まともな人材きてくれないよ?
ぼくはそう思うんだ。そしてあのGQの文も、そこまで考えての話なんだけどね。変な結論だとは思うし、これを詭弁だと思う人も多いだろう。でもさ、それじゃどうすればいいの? そう聞くと、東電の責任だから東電にやらせろ、とか言うんだけど、そういうときだけ東電を信用していいわけ? かれらだって、ない技術は振れないんだよ。どうせ今の原発の敷地って、脱原発した後で何か別のことに使えるわけでもないんでしょ。だったら今の使い道をどう改善するか考えたほうがいいんじゃないの?
この問題は、現実的には足尾鉱毒事件で渡良瀬遊水池を作ったのと同様な解決策しか無いでしょうけど、いまの政府では決断できないだろうなあ…。
脱原発、今から始めても安定して管理できる状態に持って行くまで100年程度は見込んでおかないとね。継続的に続けらるためには原子力の研究開発に金かけろ、というのはそのとおりかな。この手の反発は、平和を実現しようとしているのに軍事・戦争の研究を嫌悪・反対するというのと同じ体質を感じます。脱原発運動にはその手の方々が流入しているということなので、仕方ないのかな。
ScienceShot: A Crystal a Million Years in the Making - ScienceNOW
石膏が55tもの重量のある結晶に。この場所の気温が54~58℃と、ちょうど石膏か結晶化するのに適した温度が保たれていることによる、きわめて稀な現象とのこと。側で立っている人と比べるとその大きさが実感できます。
著者グリーンは現役物理学者で名科学ライター。これまで超ひも理論や時空論の発展を活写する無謀な試みを成功させてきたが、本書でも常識はずれの先端物理理論を、比喩に比喩をかさねて描き出す手腕は健在だ。現代物理学の様々な側面が、様々な多元宇宙論を軸に目前をかけめぐる。光速の壁の彼方にある別の宇宙、量子の干渉縞(しま)にかいま見える別宇宙、おぼろな情報の投影としての宇宙……。そうしたイメージには想像をかきたてられる。だが、いずれもあくまで理論的可能性だし、観測も通信も無理。ならそれを、あるとかないとか論じることに意味はあるのか? 観測できないものは物理学の対象ではないのでは?
著者は、下巻の半分をこの議論に充てる。モデルを信じよ、理論様があると言えばあるのだ、と言って。ぼくは納得できなかったけれど、これまた「存在」とは何か、というえらく哲学的な思索にぼくたちを導いてくれる。それが先端物理の奇妙な世界観と混ざって、頭の次元が三つくらいよじれそうな、不思議な感覚が味わえること必定。邦訳は原著の読みやすさをうまく再現しており、監修者のグチ以外は見事にその読書体験を支えてくれる。
隠れていた宇宙 上・下 [著]ブライアン・グリーン - 山形浩生(評論家、翻訳家) - 書評 - 書評・コラムを読む - BOOK asahi.com:朝日新聞社の書評サイト
私も本書読みましたが、科学哲学的見解に関する部分を除いては非常に楽しく読めました。ただ、数学的実在論まで行ったらそれはもはやそれを科学と呼ぶことは出来ない、これだから理論屋さんは…、とか毒を吐きそうになったので、結局何も書かずに済ませてしまいました。科学ではどのような仮説を立てるのも自由ですし、日常的な先入観にとらわれないことも重要でしょう。でも、一見妥当に見える前提を置けばどのような理論も「正しい」と言える以上、観測というアンカーを放棄してしまってはもやはや科学とは言えません。数学的実在論は新しい考え方ではなく古代ギリシャの時代からの伝統ある見解です。観測から切り離された理論を信奉するような記述を見て、どうも理論家の間ではピタゴラス教団の入信者が増えているらしい、という皮肉な感想を抱いたものです。
Camilo José Vergara
Photographer Camilo José Vergara writes for LightBox about his photographs of the World Trade Center taken over the past 41 years. See more here.
建設途上のWTCの写真。前景の建築物との様式の対比が興味深い。
◆[欹耳袋]統計モデルは操作化された心理的本質である —— 第一種過誤(「ないものをある」というエラー)は,心理的な「本質主義」と整合的であるという点で,われわれヒトにとってはより重要.統計学がまずはじめに第一種過誤のコントロールに腐心するのは,そもそも統計学の存在意義がヒトの認知的直感に対する疑念にありと考えれば理解しやすい.われわれが第一種過誤を生得的に犯しやすい生き物であるからこそ,その推論バイアスへの警鐘として統計学は機能する.一方,第二種過誤(「あるものをない」というエラー)はもともとヒトにとっては縁が薄いとワタクシは考えている.言い換えれば第一種過誤はヒトの gut feeling に直結するのに対し,第二種過誤はそこまで「いきもの」サイドに寄ってはいない.
ワタクシ自身の過去の経験では,統計学が必要になるのは「データが汚い」からだと公言する研究者(とくに実験科学系の研究者)は少なくない.統計学の出番がないほどクリスタルに美しいデータを礼讃するのは一種の「本質主義」だとみなせる.誤差のないイデアな世界を仰ぎ見るということは,とりもなおさず測定値の海や実験誤差の泥の向こう側に普遍的な法則性・規則性をつかさどるもの(正しい意味での「心理的本質」)があるという信念だからである.もちろん,Karl R. Popper の言う「一般化科学」(generalizing sciences)は「本質」抜きには成立しないだろう.
統計学の場合,心理的本質主義とのつきあい方には十分に注意する必要がある.データを説明するための「統計モデル」は,まちがいなく心理的本質を操作化(operationalize)したものである.モデル選択における「オッカムの剃刀」(赤池情報量規準 AIC はその現代版にすぎない)が取り沙汰されること自体,統計モデルが姿を変えた心理的本質であることの証だろう.
dagboek voor mijn onderzoekingsleven
全く同感。「自然哲学」が「科学」へと変化していく中で一番大きな違いは、この「無いものを有る」といってしまう、人間がどうしても犯しがちな誤謬を極力排除する制度的仕掛けが整備されたことだと思います。もちろん、それ故第一種過誤によって不幸な境遇を過ごす人が出たとしても止む終えない代償であるというのが科学。
(追記)
逆に宗教とか哲学は第二種過誤を犯してしまう危険を無視してでも「因果」とか「本質」を理解しようとする営みであると捉えています。「現代の科学には解明できないことがある」というのはある意味当たり前で、解らないものを無理やり解ったとは言わない、ただそれだけのことです。
「正義」の諸刃の剣になりうるから、市民社会では公法によってその行使を制限する方向に進んできたのですが。9.11あたりから安全を求めるあまり縛りが緩くなっていることが気になるところ。
Open Knowledge Foundationが母体となって、「The Public Domain Review」というパブリックドメインの作品に焦点を当てたレビューサイトが立ち上がっています。書評専門のサイトだと、「The New York Review of Books」、「The Browser」などが思い浮かびますが、「The Public Domain Review」は、見たところそのようなサイトと同じような方針で運営されていく感じですね。
「Launch of The Public Domain Review website - Creative Commons」より。
Pendulum Waves
長さの異なる振り子を同じ角度で一斉に動かすという単純な仕掛けなのですが、横から見ると色々なパターンが見えてきます。
「Pendulum Waves as Kinetic Art | Open Culture」より。
不作為は重過失として、故意に行ったのと実質的に等しいという認識は、なかなか広まらないね。十分に測定・管理されいるとは言えないのに、安易に風評被害と称して必要な手立てを講じることを怠ってきたから、そのつけが今になって表面化している。
まあ、外国政府がなぜ退避勧告を出したのか、実害が出てきてようやく理解されてきたというのは、本当に残念。今のような事態が起きることは十分予想できていて、適切な対応が取られていれば避けられたであろう事態であるだけに。一時的な経済損失を埋め合わせるのはまだ容易だけど、失われた信頼を回復するのは本当に時間がかかる。私は原子力エネルギーそのものには反対ではないけど、現在の政府と電力会社の手に余るものなのではないかという不安は、残念ながら未だに払拭できない。
背が高いほど発がんリスクが大きい傾向があるという疫学研究が結構積み上がって来ているようですね。今のところ因果関係は不明のようですが。可能性として、成長期に高身長をもたらすホルモンが同時にがん細胞の成長を促すという仮説が考えられるとのこと。なんとなく納得できる説明です。生体は非常に微妙なバランスの上で成り立っているので、抗加齢でそのバランスを人為的に操作するのは、個人的には深刻な副作用との戦いになるのだろうなと、この記事読んで改めて思いました。
Jane, G., Benjamin J, C., Delphine, C., F Lucy, W., Gillian, R., & Valerie, B. (n.d.). Height and cancer incidence in the Million Women Study: prospective cohort, and meta-analysis of prospective studies of height and total cancer risk. doi: 10.1016/S1470-2045(11)70154-1.
企業会計と公会計はカウンターパートになっているから、基本的な考え方に違いがあると思うんですけどね。借り換えで凌ぐことはネズミ講だという批判もありますが、現実にはコンソル公債というものまであるわけでして。経済学の基礎で出てくるので知名度は高いはずなのですが。
財政規律がしっかりしていれば、資金需要が低下する不況期に低利で借りて、資金需要が増大する好況期に償還を進めて資金需要の逼迫を緩和するというのが、税を変にいじるよりは経済を安定化させるはずです。でも、最大の問題は好況期に政府の役割を縮小させるということが現実にはきわめてこんなんだというところで。結局償還が十分に進まずに債務が積み上がるのが現実。難しいですねえ。